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気の狂っている時代 アウシュビッツ収監所😱

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8.21 金曜日

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世界中が戦争や紛争まみれ。 と、いう時代から今では世界的にも平和になってはきましたが、 過去はなかなか消えません。

今日は、昔実在した恐ろしい出来事を1つご紹介します。

アウシュビッツ強制収監所ってご存知ですか??🧐

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もし、この出来事を知られている方は 名前を聞いた途端身の毛もよだつとは思います。

それは、 ドイツ人が設置した最大規模の強制収容所でした。

アウシュビッツは、火葬場、絶滅収容所、および強制労働収容所がある強制収容所の集合体でした。

収容されていたユダヤ人の10人中9人、100万人を超える人々がアウシュビッツで命を失いました。 4つの巨大なガス室は、それぞれ同時に2,000人が入れました。

収容所の入り口に掲げられている看板には「ARBEIT MACHT FREI」と書かれていました。

これは「働けば自由になる」という意味です。

実際は、その全く逆でした。 労働は、ナチスが「労働による絶滅」と呼ぶ大量虐殺の形になりました。

髪の毛を剃られ、左前腕部には登録番号が彫られました。

男性は破れた縞模様のズボンと上着を着用し、女性は作業着を身に着けました。

履き物は男女共にサイズが合わない作業靴が支給され、木靴の場合もありました。

そして、作業をしているときと同じ服装で眠りました。

収容されていた人達は窓のない原始的な宿舎に収容され、暖房や防寒などはなく、各宿舎に約36の2段ベッドがあり、囚人たちは木の厚い板の上に5〜6人が押し込められました。1棟の宿舎で500人もの囚人が寝起きしていました。

彼らは常に空腹でした。

食事の内容は、腐った野菜や肉で作った水分が多いスープ、数オンスのパン、わずかなマーガリン、紅茶またはコーヒーに似た苦い飲み物でした。

誰もが下痢になりました。脱水症や空腹で衰弱した人たちは、あっけなく収容所で広まっていた伝染病の犠牲になりました。。

アウシュビッツからの逃亡は、ほぼ不可能でした。

強制収容所絶滅収容所の両方が、電流の流れる有刺鉄線のフェンスで囲まれていました。

多くの監視塔には、機関銃と自動小銃を装備した護衛兵が立っていました。囚人の生命は、気まぐれに残忍な刑罰を加えることができる護衛兵によって完全に支配されていました。

囚人たちは、この護衛兵による特別な計らいの見返りとして、囚人の監視役に選ばれた同志である囚人にも虐待されました。

アウシュビッツでは、残忍な「人体実験」が行われました。男性、女性、そして子供たちが被験者として利用されました。

ナチスの医師であるヨーゼフ・メンゲル博士は、幼児を含む発育障害者や双子に対して痛みを伴う衝撃的な実験を実行しました。

いくつかの実験の目的は、ドイツ軍の兵士やパイロットのためにより優れた治療法を探すことでした。

その他の実験では、ナチスが劣っていると見なす人々を不妊にする方法を向上させることを目的としていました。この実験中に多くの人々が亡くなりました。

その他の人々は「研究」が完了し、殺害されて、後の研究のために臓器を取り出しました。

アウシュビッツの大部分の囚人が生きていられたのは、わずか数週間または数か月でした。

その数ヶ月は、 労働・実験など様々な苦痛を強いられ、 病気や衰弱が進んで作業できない人たちは、ガス室での死刑に処されました。

高圧電線に自ら身を投げて自殺を図る人もいました。

歩く死骸のように心身共に衰弱する人もいました。

我々の住んでいる地球上の過去には このように恐ろしい出来事が実在しています。

もう2度と負の過去を繰り返さないように、 更なる平和な世の中が訪れる事を願います。

今回のお話はここまでです! ご視聴頂きありがとうございます😊

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